2012年2月27日、エルピーダメモリが東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請しました。負債総額は4480億3300万円。日本の製造業の倒産としては過去最大の記録です。
国の支援を受けた「日の丸DRAMメーカー」が、なぜここまで追い込まれたのか。価格下落、円高、投資負担という3つの波を、公開資料で確認しながら追います。

1999年に生まれた日の丸DRAM
エルピーダメモリは1999年12月、NECと日立製作所がDRAM事業を統合して設立した合弁会社です。2003年4月には三菱電機からDRAM事業の営業譲渡を受け、国内唯一のDRAM専業メーカーになりました。
2004年11月には東京証券取引所1部に上場し、パソコン向けDRAMに加えて携帯機器向けの「プレミアDRAM」にも進出しました。最先端の微細加工技術へ、積極的な投資を続けていきます。
リーマン・ショック後の価格下落
2007年3月期には売上高4692億6300万円を計上したエルピーダですが、翌2008年3月期は市況のピークアウトで3939億3700万円まで落ち、赤字に転落しました。2008年夏以降の世界経済の急変で、DRAM価格は採算を割り込む水準まで急落します。
2009年3月期の売上高は3107億1500万円、最終赤字は約1655億円に達しました。パソコン向けDRAMの需要が縮み、価格が収益を支えられなくなったためです。
英国BBCは、価格下落、需要減、競争激化、円高の4つを破綻の要因として伝えています。DRAMは韓国や台湾のメーカーとの価格競争が激しく、投資を止めれば技術で遅れ、続ければ資金が減る構造でした。
300億円の公的資金でも足りなかった
2009年8月、エルピーダは改正産業活力再生法の適用を受け、日本政策投資銀行を引受先とする300億円の優先株を発行しました。同年11月には協調融資などで1100億円を調達し、資金繰りをつなぎます。
元社長の坂本幸雄氏は、1ドル80円を下回る超円高と返済期限が重なったことを後に振り返っています。技術力は世界と戦える水準にあった、という証言です。
2010年後半からパソコンの出荷が再び伸び悩み、DRAM価格は下落しました。2012年1月には300億円の社債、4月には770億円の協調融資の返済が迫り、借り換えの交渉は難航します。

2012年2月27日の会社更生法申請
2012年2月27日、エルピーダは東京地裁へ会社更生法の適用を申請しました。負債は2011年3月末で約4480億3300万円に上り、製造業の倒産では過去最大の負債額になります。
子会社の秋田エルピーダメモリも同日に申請し、負債は約79億6100万円でした。株価は98%下落して5円になり、東京証券取引所は2012年3月28日付で上場を廃止します。
マイクロン傘下で消えた会社
2012年7月、米マイクロン・テクノロジーがエルピーダを2000億円で買収することで合意しました。買収が完了すれば、DRAMメーカーとして世界2位になる取引だと伝えられています。
買収は2013年7月に完了し、エルピーダはマイクロンの完全子会社になりました。広島工場は、同社の先端DRAMを開発・生産する拠点として引き継がれます。
会社更生手続は2020年7月22日に終結しました。社名はマイクロンメモリジャパンに変わり、エルピーダという名前の会社は存在しません。

最後に: 技術だけでは生き残れない
エルピーダの技術力は、破綻の時点でも世界と競える水準にあったと評価されています。それでも、価格と為替と返済期限が同時に押し寄せれば、単独では持ちこたえられません。
競合の変化は、決算の数字より早く、投資や提携、人の動きに表れます。自社の前提が変わっていないかを定点で確かめる習慣が、事業の判断を支えます。
