2012年1月19日、イーストマン・コダックは連邦破産法11条の適用を申請しました。フィルムカメラの代名詞だった会社が、負債67億5000万ドルを抱えて経営破綻した瞬間です。
コダックはデジタルカメラを世界で最初に開発した会社でもあります。なぜ開発した側が市場を失ったのか。公開資料から、判断の分岐点をたどります。

コダックは何を手放したのか
コダックは1880年に創業し、写真を大衆に広めました。1976年の時点で、米国のフィルムの90パーセント、カメラの85パーセントを販売していたと報じられています。
1988年には世界で14万5300人が働く巨大企業でした。1996年の売上高は約160億ドルに達しています。規模と利益の大きさが、後の変革を難しくする背景になりました。
世界初のデジタルカメラを作った1975年
1975年、コダックの技術者スティーブン・サッソンは世界初のデジタルカメラを開発しました。画素数は1万画素で、1枚の記録に23秒かかったとされています。
しかし製品化は進みませんでした。1993年に退社したドン・ストリックランド元副社長は、フィルム市場への影響を恐れて発売承認が下りなかったと証言しています。
フィルム事業を守るほど強まった逆風
1994年、アップルが発売したデジタルカメラQuickTakeはコダック製でした。自社ブランドではない形で、デジタル市場に関わっていたことになります。
一方でフィルムへの依存は続きました。売上高は2003年の約133億ドルから2011年には約60億ドルへ減り、需要は戻りませんでした。
富士フイルムなど海外勢との価格競争も重なり、主力事業の採算は年々悪化します。既存事業を守るほど、新事業へ回す余力は細っていきました。
コダックはフィルム需要が徐々に減ると想定していました。しかし新興国でもスマートフォンが選ばれ、需要は急速に落ち込みます。
2012年の破綻で何が起きたか
破産申請時の資産は51億ドル、負債は約67億5000万ドルでした。申請の1年前には、全社で1万8800人の従業員が働いていました。
2012年12月には約1100件のデジタル関連特許を5億2500万ドルで売却しています。当初期待された20億ドルには届かず、再建は資産売却に頼る形になりました。
2013年9月3日、コダックは破産手続きを終えました。この時点の従業員は約8500人で、全盛期の10分の1以下です。

再建後は何を作る会社になったか
再建後のコダックは、商業印刷やパッケージ印刷を主力とする会社になりました。カメラやフィルムの消費者向け事業は、年金基金などに引き継がれています。消費者向けカメラ事業からの撤退は、破綻の前から始まっていました。
2020年には医薬品の原料製造に参入する発表もありました。写真の会社という印象から離れ、事業の柱を何度も入れ替えています。
デジタル化の判断を競合監視に生かす
コダックの失敗は、技術がなかったことではありません。フィルムの利益が大きいほど、デジタルへの投資判断は先送りされました。利益の出ている事業を守る判断が、新しい市場への対応を遅らせたことが本質です。
競合を見るときも同じです。いまの主力商品だけでなく、小さく始めた新事業や提携の動きを追うと、数年後の構図が見えてきます。
決算資料にはセグメントごとの売上が載っています。伸びている部門と縮んでいる部門を定点で比べれば、転換の兆しを数字から読めます。

最後に: 見送る判断はなぜ起きるか
コダックが見送ったのはデジタル化そのものではなく、既存事業を壊す決断でした。強い会社ほど、この決断は難しくなります。
競合のプレスリリースや採用情報の変化を追うことは、その会社がどこに賭けているかを知る作業です。小さな変化の蓄積が、数年後の明暗を分けます。
